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秋帆が 砲術訓練 高島平
(しゅうはんが ほうじゅつくんれん たかしまだいら)

板橋区の北端に位置する高島平は、江戸時代は荒涼とした草原で徳丸ヶ原と称していました。ここは村々の入会地で、幕府の軍事訓練所や将軍の鷹狩り場としても使われていました。天保12年(1841)、 長崎の西洋砲術家であった高島四郎太夫秋帆が呼び寄せられ、この地で初めて大掛かりな洋式砲術と洋式銃陣の公開演習が行われました。

この高島秋帆にちなんで昭和44年に「高島平」という地名に変わり、昭和47年には大規模な高島平団地への入居が始まり、全域で5万人を超える街になりました。

 

高島平
高島平一丁目~九丁目